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死んでしまうなら、きっと今日がいいと思った。
久しぶりに元恋人と出掛けた。
彼と過ごす時間は楽しかったし、ある程度気が許せる相手だからこそ変に気を張る必要もない。
相手はまだ、わたしのことを好きだという。
どこがどうして、なぜ好きなのかは彼の他に知ることはできないと思う。
好きという言葉の粗ばかり探してしまう自分が厭になる。
彼の言う好きのいいところは、ひどく素直で優しくて、まっすぐなところで、
彼の好きの悪いところはわたしには荷が重すぎるところだと思う。
彼はとても優しい人間だし、感情も豊かで私への理解も多く示してくれる。人を愛せるし、人に愛される人間だと思う。
だからこそ、わたしはとても重々しくそれがのし掛かってくる。素直に好かれていることが喜べない自分が悲しい。
彼の本気の好きに、怯んでしまう。
彼は、今月から6ヶ月、それなりに離れた場所へ研修に出るらしい。
就職してから特別多く会ったわけでもないが、なんだか寂しく思う気持ちはわたしにもあった。
彼から好意を示される度に、まだ誰かと交際に踏み込めるほど自分が強くなれていないことをじわじわと痛感してしまう。
好意を寄せられる度に、その優しさ、視線、表情すべてが、重くわたしの全身にのし掛かるプレッシャーとなって、たいへん息苦しくて仕方ない。
平気なふりをして、逃げることが精一杯で、情けなくて、どうしようもない。
どんなに笑って、何も考えずにいても、自分の身勝手さ、気持ち悪さが腹の底からどこからともなく蛆のように沸き上がって、収めることができなくなる。
なにをしていても、楽しいことや嬉しいことがたくさんあっても、わたしのすぐそばで横たわる自分自身に目を覆われて、息苦しくてたまらない。
わたしはどうしてもまだ、死にたい。