二十八日目

死んだら第一発見者は誰がいいかな

 

親?友達?好きな人?

それとも誰にも気づかれずに朽ちちゃう?

 

わたしはさみしがり屋だから、どうか誰かに気づいてほしいな。

そしてできたら悲しんでほしい。

 

私が死ぬとき、この悲しい胸のうちを全て明かしたいとも思うし、何も言わずに突然死んでしまうのも仕方ない。

 

だけど、少しでもわたしとのさよならを名残惜しく思ってくれる人がいたなら、きっとわたしは救われる

二十七日目

乗り物に乗るのが好き。

電車通学を始めたのは大学からだけど、昔から車、飛行機、船、自転車…と乗り物に乗るのが好きで。

自転車や船なら風を感じたり、飛行機だと内臓が浮く感覚が好きだし、電車やバスや車はほどよい揺れに身を任せてうたた寝したりするのも好き。起きるとたいてい首が痛いんだけど、なんか良いんだ。

電車やバスだと、たくさんの人は乗ってて騒がしかったり、機械音がするんだけど自分に干渉はなくて、それぞれがここで生きてるんだなぁ…っておもったり。

 

乗り物にのって、想像もつかないようなどこか遠くへいったりしてみたいもので、行く途中で死ぬのも良いし、目的地で死ぬのも良いね

二十六日目

痛い思いをしたことがほとんどない。

強いて言えば胃腸炎とか生理だとかその類いになるか。

ピアスを開けたときもさほど痛くなかったし、骨折もしたことがない。

 

苦しい、辛いとおもうのはいつだって内面的なことばかりだ。

つらいつらいと言うことは多いがそれはそのつらさの逃がし方であるからで、本当にきついときスマホを見る余裕すらなくなる。

 

もし、死ぬときが来たら内面的な痛みじゃなく身体的な痛みがいい。わたしはきっとそれにすごく弱い。

でも、どんな痛みでも痛みを感じるときこそなにより生を感じることができるんだと幻想を抱いている。

自分はこれから死ぬんだ、って思うより自分は今生きているって思えたなら…

二十五日目

もし死ぬとしたら、おもいっきり悪いことしたいよね。

だって死ぬ直前にいいことしたって、自分になんの得もないし、みんなわたしのことなんかすぐに忘れて記憶のなかでも風化してしまうだろうし。

 

悪い噂のほうが広まるのが早くて、後世に残りやすい。

わたしは、さみしがり屋だし、しんでもきっとそうだから、みんなに覚えててもらいたいからうーんと悪いことするわ。

 

…なにしようかしらね

二十四日目

色々なものに囲まれて眠るのが好き。

だからわたしのお布団回りはぬいぐるみやクッション、漫画本でいっぱい。

 

ぬいぐるみはともだち。直接声をかけてくることはないけど、語りかけてくるときはあるのよ。私の最大の理解者としてかなしみやつらさ、さみしさを一緒に分けあってくれるとても大切な存在。

 

だから、私の最後の時には、みんなでお布団をぐるっと囲んで私を見送って、最後まで寄り添って。みんなのことが大好きだから。

 

二十三日目

どうしても会いたい人がいるの。

 

10年前のわたし。

 

わたしは10年前、たしかにしたたかで優しい子だった。わたしは、あなたに自慢できるあなたではないわ。ごめんなさい。

よくも悪くも、たくさん変わったわ。

わたしはわたしで、自分をもって自分らしくいなさいって。

 

そんな説教垂れてみたら、きっとわたし今の自分よりもっと思い切り自分を楽しんでたかも。

死にたいって思うことぐっと少く済んだかも。

自分の守り方を知って、ちゃんと強くいきれたかも。ごめんね私、わたしは後悔しながら少しずつ死んでるの。